ヨブ記6章

6:1 ヨブは答えた。

6:2 ああ、私の苦悶の重さが量られ、私の破滅が、ともに秤にかけられたらよいのに。

6:3 きっと海の砂よりも重いだろう。だから、私のことばは激しかったのだ。

 ヨブは、自分の言葉が激しかったことを認めています。彼は、それを承知して語ったのです。苛立ちの重さ、災難の重さがあまりにも大きかったからです。五章二節でエリファズの指摘として、苛立ちは愚か者を殺しと表現されています。

・「苦悶」→苛立ち。

・「破滅」→災難。

6:4 まことに(→なぜならば)、全能者の矢が私に刺さり、その毒を私の霊が飲み、神の脅威が私に対して準備されている。

 それは、全能者と表現されている力ある神からのものでした。矢は、内面に対する裁きを表しています。それは、毒矢で、その毒を霊が飲んだのです。その結果、神を脅威と感じるようになるのです。霊が信仰によって歩んでいるならば、神は脅威とはなりません。ヨブの現状は、霊が神の言葉を信じて進むことができないのです。苦しみの目的がわからないからです。罪を犯しているならば、悔い改めることができます。しかし、そのようなものがないのです。それでも、神の目に適わないで、処罰を受けるにしても、死ではなく、ただ苦しみが続いていて、目的が分からないからです。

6:5 野ろばが若草の上で鳴くだろうか。雄牛が飼葉の上でうなるだろうか。

 彼が、自分の日を呪ったのは、彼の苛立ちと災難が大きかったからですが、それとともに、彼が受けた苦痛について、神の御心を明確に知ることができるのであれば、彼は、このような言葉を口にすることはなかったのです。野ろばが青草の上で鳴かないように、神の御心を知らされているならば、その苦痛のみならず、死を与えられることであっても、喜んで受け入れるのです。声を出すことはありません。

 彼がこのように声を上げたのは、苦痛だけがあり、神の御心がどこにあるのか全くわからないからです。その理由が分からないからです。

6:6 味のない物は塩なしに食べられるだろうか。卵の白身に味があるだろうか。

 味がないことは、苦痛の目的が分からないことを言っています。それを、塩なしに食べられないと表現しました。塩は、永遠の契約の比喩です。彼の経験する全てが永遠の契約に沿ったものでないなら、まして、全く目的がわからないならば、その経験は、意味のないものであり、耐えられないのです。苦痛であれ、死であれ、それが永遠の契約に沿ってのものであり、そこに従うことで、永遠の報いがもたらされるならば、どのようなことも忍べるのです。

 卵の白身を取り上げています。それは、味のないものの例示です。

6:7 私の喉はそれを受けつけない。それらは私には腐った食物のようだ。

 彼の喉は、それを受け付けないのです。永遠の契約に基づかないものを受け入れることができないことを表しています。卵の白身であるならば、食べようと思えば食べられるのです。しかし、彼は、それを腐った食物のようだと言い、彼には、全く価値がなく、受け入れがたいものなのです。彼には、永遠の契約に沿わない一切を受け入れることができないのです。

 この世の物をある程度受け入れる信者もいますが、それらは、永遠の観点からは、全く価値が無いものであり、受け入れるに値しないものです。それを腐った食物とみなすヨブの高潔さが伺われます。

6:8 ああ、私の願いがかなえられ、私が望むものを神が下さるとよいのに。

 彼の願いは、彼の経験がどのような永遠の契約に沿ったものであるかを神が知らせてくださることです。

6:9 神が望むままに私を砕き、御手を伸ばして私を絶たれるのであれば、

6:10 それはなおも私にとって慰めであり、容赦ない激痛の中でも、私は小躍りして喜ぶ。私は聖なる方のことばを、拒んだことはない。

 苦しみが、どのような永遠の契約に沿ったものであるのかを神が知らせてくださったならば、神が望むままに彼を砕いたとしても、彼が絶たれたとしても、それは、彼にとって慰めです。それは、永遠の報いをもたらすからです。

 容赦のない激痛の中でも、喜ぶことができます。その激痛も神の御心に適ったものであり、大いなる報いをもたらすからです。

 それは、今までの彼の経験と同じく、神の御心であるならば、全て従って歩むのが彼の歩みであるからです。彼は、神の言葉を拒んだことがありません。しかし、今は、その従うべき神の御心が全く分からないのです。

6:11 私にどんな力があるのだろうか。私が待たなければならないとは。どんな終わりがあるのだろうか。耐え忍ばなければならないとは。

6:12 私の力は石の力なのか。私の肉は青銅なのか。

 終りが見えない苦しみを耐える力がありませんでした。それでも彼は、待たなければなりませんでした。

 彼の忍耐は、限界を超えるものでした。その力が石であれば、あるいは忍べるかもしれない苦しみです。肉が青銅であれば、あるいは、忍べるかもしれません。

 石は、教えの比喩です。肉の苦しみがあるので、その教えを完全に守ることができないのです。彼が忍耐の限界を感じ始めているのは、肉があるからです。完全に肉を殺し、教えの内を歩むならば、忍べるのです。

 青銅は、御心を行うことでの聖さの比喩です。肉を持つ体にあって、完全に神の御心を行い、聖なる者として歩むことを表しています。しかし、今は、肉のために限界を感じているのです。

6:13 私のうちには何の助けもないではないか。すぐれた知性は、私から取り払われている。

 今、彼を立たせる助けは、彼の内にありませんでした。その助けは、優れた知性と言われている知恵です。

・「優れた知性」→優れた知恵。

6:14 落胆している者には、友からの友情を。さもないと、全能者への恐れを捨てるだろう。

 彼のうちには、助けがありませんでした。それで、落胆していたのです。そのような友を見たならば、友情を示してほしいと。彼の落胆を解消するものではないかもしれないが、少なくとも、彼を立たせるにふさわしいことを示してほしいのです。彼らは、苦しみに理由がないこともあることを、神は、どのように神の目に適った者でも、試みられることを、誰も理解していませんが、そのような中で、少なくとも、ヨブに対する理解を示してほしいと。

 落胆している時に、友からの友情を示さないことは、躓きをもたらすのです。その人は、全能者への恐れを捨てるかもしれないのです。

6:15 兄弟たちは水無し川のように私を裏切った。流れが去る川床のように。

 一時は水が流れる谷筋のように、兄弟たちは、裏切りました。兄弟たちと言っていますが、三人の友のことです。兄弟として信頼しているものなのに、裏切ったことを言っています。

・「水無川」→谷。涸れ谷。

6:16 それは氷で黒ずみ、雪で隠される。

6:17 炎天のころには、流れがなくなり、暑くなるとその場所から消える。

 それは、見た目には、氷があるために黒ずんでいます。すなわち、水があるようにみえるのです。その上は、雪で隠されてます。ですから、水を期待できるのです。

 しかし、炎天の頃には、雪と氷は溶けてなくなります。地の表面をわずかに覆っているにすぎないのです。暑くなると消えるのです。

6:18 隊商はその道筋からそれ、荒れ地に上って滅びる。

 隊商は、水を期待して道筋からそれ、水のない荒れ地に上り滅びるのです。

6:19 テマの隊商はこれを目印とし、シェバの旅人はこれに望みをかける。

6:20 彼らはこれに頼ったために恥を見、そこまでやって来て、辱めを受ける。

 テマの隊商も、シェバの旅人も、水があると期待してそこまでやって来るのですが、恥を見ることになります。

6:21 (なぜならば)今や、あなたがたはそのようになった。あなたがたは恐ろしいことを見ておびえている。

 今、エリファズのしていることは、それと同じなのです。彼らは、恐ろしいことを見て怯えています。そのためにヨブのことを冷静に判断することができませんでした。このような結果を招いたからには、きっと大きな罪があると考えたのです。彼らは、ヨブのことを理解して、適切な助言を与える友にはなりえませんでした。

・「あなたがたはそのようになった」→なぜならば、今や、あなた方は、なにもない。雪と氷が溶けてなくなることに対応している。

6:22 私が言ったことがあるか。「私に贈り物をせよ」と。「あなたがたの財産の中から私のために賄賂を贈れ」と。

6:23 あるいは「敵の手から私を救い出せ。横暴な者たちの手から私を贖い出せ」と。

6:24 私に教えよ。そうすれば、私は黙ろう。私がどのように迷い出たのか、私に悟らせよ。

 エリファズは、ヨブが神の前に罪を犯し、それを捨てない愚か者のように言いました。もし、それが事実ならば教えよと言い、その言葉の根拠を求めています。彼が、友に対して不当な要求をした事があるだろうかと問うています。

6:25 真っ直ぐなことばは、なんと痛いことか。あなたがたは自分で何を責め立てているのか。

 エリファズの言葉は、真っ直ぐな言葉です。間違ったことを言っていません。ですから痛いのです。しかし、彼が責め立てていることは、ヨブには当てはまらないのです。的外れな指摘をして、正そうとしているのです。

 なお、私たちは、もし、その指摘が自分に当てはまるのであれば、御言葉に従って行動しなければなりません。自分にとって痛い言葉であるから避けるというのは誤っています。

6:26 ことばで私を責めるつもりか。絶望している者のことばを、風と見なすつもりか。

 (私の)言葉を判定するのか。絶望している者の言葉をただの息のようにみなし、ヨブの語ることを真に受けず、罪人の愚かな言葉のようにみなすのかと問うています。まやかしを言っているとみなしたのです。

・「責める」→判決を下す。

・「風」→風、息、霊。この場合、口から出てくる言葉に対して、口から出てくる息を対比させている。単なる息で、言葉とはみなしていないと言っている。

6:27 あなたがたは、みなしごをくじで分け合い、自分の友さえ売りに出す。

 彼らのしていることは、みなしごをくじで分け合うような非道なことです。自分の友の言葉を聞かず、罪人とみなしているからです。

6:28 今、ぜひ、私の方に顔を向けてくれ。あなたがたの顔に向かって私は決してまやかしを言わない。

 顔を向けてくれといったのは、彼の言葉は、嘘偽りのない真剣な言葉であることをわからせるためです。決してまやかしを言わないのだと。

6:29 思い直してくれ。不正があってはならない。思い直してくれ。私の正しさが問われているのだ。

 エリファズの言葉について、考え直してくれと求めました。間違った認識で、間違ったことが語られてはならないのです。そのような不正があってはならないのです。ヨブの正しさが問われているのです。それを曲げてはならないのです。

6:30 私の舌に不正があるだろうか。私の口は破滅を見極められないだろうか。

 ヨブの言葉に不正があるだろうかと問いました。神の前に不正な言葉を語ったならば、破滅があることを見極めることができないだろうかと問い、ヨブが決して不正な言葉を語っていないことを強く主張しました。